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| 2007.11.16 Friday | - | - |
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mignon mimosaSmall discovery of everyday life |
突然ですが、思い出話。
中学三年の運動会。学年競技は「障害物リレー」 種目は、おたまでピンポン運び、竹馬、ムカデ、そして、キャタピラなど。 学級会でそれぞれの出場種目を決めることに。 私と友人2名は、内容を見たとたん、 「これは絶対キャタピラやんなーおもしろそうやん」 「どうするースゴイ人気で、アカンかったら〜」 などと話し合う。 「では、キャタピラに出たい人〜!」って体育委員の一声に、 「はあああい!!」と元気良く手を上げる私達。 どうよ?と級中を見渡したところ、ハリきっていたのは、ふたりっきり。 えっ・・・皆やりたないのん? それどころか、そんなん出たいのん?ビームを受けました。 確かに、実際やってみると、予想外にツラかった。。。 輪になったゴザに入り、キャタピラが進むがごとく進んでいかなければならないんだけど、 後頭部の髪が逆毛状態やし、前は見えないし、 ハイハイでは、思うように進まず、でんぐり返りなんかにもチャレンジするが、 なんせ薄いゴザで、下は地面、痛いし。。。 二人の盛り上がりも、いつのまにか何処へやら。 アホやな!と失笑もかうしまつ。 ぐったりとした表情で、ゴザに半分入り、 出番待ちをする友人の姿が、卒業アルバムに刻まれております。 本日商品直送先の会社名が「なんちゃらキャタピラ」だったことから、 ふと思い出してしまいました。 asaサンは、何に出た? 写真は全く関係なく、今度の土曜までアターブルで催されている スギヤマタマミさんの「アンティークと暮らす -フランスの旅と道具展」での写真です。 写真もほんとに素敵なんですよねー こんな写真はどうやったら撮れるのかなぁ。。。 カメラもまだまだ全然使いこなせておらず、焦る毎日でございます!
| 2006.11.29 Wednesday | 思い出 | comments(6) |
hohoemiサンのブログの「ひょっとこ饅頭」を見て思い出した昔話。
(画像は本文と全く関係ないです。) 卒業後、地元島根に帰省した友人Yチャンを訪ね、何度か松江に行きました。 松江はいいとこで、のんびり海で泳いだり、 海なん?湖なん?と不思議く宍道湖眺めたり、 蟹やら、ムール貝やら、わんさかの海の幸でもてなしてもらった、楽しい思い出。 ある夏のこと。 野焼き(ふっとい竹輪・・竹輪ではなく野焼きらしい)などお土産にもらい、 長距離バス乗り場の米子までYチャンが車で送ってくれました。 (当時は米子止まりだった) 確かバス乗り場に着いた時点で、出発まで10分もあるかないか。 誰も外にいないのにもかかわらず、なぜかお土産屋さんを見る私たち3人。 ふと見るとバスが走り出してるではないの! 私 :「バス行ったでー!!」 E子:「まさか〜笑」(←彼女はたまに登場する不思議サン) 私 :「行ったってーー!!どうするーー!!!」(←意外と反応いいタイプです) E子:「・・・」 K子に至っては、何が起こっているのか把握出来ない様子でした。 取り急ぎ松江在住Yチャンの車で追っかけてみてもらう事に。 しかし、事態を把握するのに時間がかかったせいか、 すっかり見失ってしまってたけど、しばらくは諦めず、 アレでは?!と峠の小さなドライブインらしき所に止まっているバスを目指して 行ってみた・・・・・が違っていた。どうする俺!?状態。 Yチャンにどこまでも乗せてもらう訳にもいかない、次の日は仕事、、、 途方に暮れながら、私たちのとった行動。 それは、その止まっていたバスが何処に帰るかを確認。 大阪のそこそこ有名な会社の社員旅行で本町に帰ると言う。 事情を話し、乗せて欲しいとお願いしてみたら、 男性ばかりだったし、何せ私たちもまだまだ若者だったせいか、 「いいよ、いいよ〜乗って行き〜」と歓迎ムード。ラッキーである。 そんなこんなで乗りました。 ひとりひとりマイクで自己紹介なんかもさせられたりして(超カッコ悪)、 トランプなんかもしたりして、なかなか楽しく盛り上がりながら帰れそうな感じ。 ところが世の中そんなに甘くなく、そうは問屋が卸しません。 初めからどうも気に食わない風だったバスの運ちゃんと、 かなりムっとしていたバスガイドさんの熱心な努力の甲斐があり、 「バス見つかりましたから次のサービスエリアで乗り換えて下さい!」とのお達し。 社員旅行の皆さんは、「もーこのまま乗って行ったらいいやん」「おりるのー?」 と暖かい声をかけてくれはったけど、 SAに付いて、降りてみると、トランクから降ろされた荷物がみっつ、 ポツンと地面に置かれてました。。。 そこまでするなら降りてやるわよ! お金出してる人がいいって言ってるのに、なんやのん!あのバスガイド!!! などと、暴言を吐き怒りつつ別のバスに乗り換えた私たちですが、 そもそも出発時刻に乗車しようってアホな考えを持ち、 図々しくも乗せてもらい、文句言える立場ではない訳で、 帰れただけで有難いはず。 若気の至りって言うのでしょうか、今考えても恥ずかしい思い出であります。 けどチョットおもろい思い出でもあるかな・笑
| 2006.04.07 Friday | 思い出 | comments(5) |
例えば、思い出の香りが鼻の頭をくすぐった時、 とたんにその時の情景に引き込まれる事ありませんか? そんな感じ、音楽にもあるなって思います。 あの時好きだった曲、この時流れてた歌。 ポツンと出てきた1本のカセットテープ。 竹内まりやのベストアルバム。 その中の一曲 『夢の続き』 とっても好きな曲。 なぜならこの曲は、Hawaiiの思い出とリンクしてるから。 昨日車でかけてみた!うぅ・・懐かし過ぎる〜 何年も何年も何年も聞いてなかったけど、 流れ始めるとすごい勢いでその時のHawaiiがいっぱい溢れ出しました。 ハワイに行くなら観とこうよって、走って行った映画 「ハワイアンドリーム」 時任三郎とジョニー大倉が主役っていう暑苦しいキャスティングながら、 案外面白かったし、もちろん舞台はHawaii。そして主題歌がよかった。 それがこの 『夢の続き』で、だから買ったカセットテープ。 (今や化石の完成品のテープです!) モチロンこのテープは一緒にハワイにも旅をしました。 ハナウマベイに寝そべってウォークマンのイヤホンを分けて聞いて、 昨日と同じ一日が暮れて…って歌詞んとこで「ほんまや〜♪」と感動。 昨日の夜でたのに、昨日の朝に到着なんてマジックです! マウイ島の夕日。パンチボールの風。くっきりした空の青海の青。ココナツの匂い。 一緒に行ったichanは、スポーツ万能なのに泳ぎは苦手で、 恐々手をつないで魚を見たこと。(暴露・笑) さとうきび列車の運転士サンが子供と思って手を降ってくれたこと。 マウイの暗闇で道に迷い、軍の空港の方に行ってしまったこと。 自転車で風を切ったこと。 いっぱい思い出して、なぜだかちょっぴり切なくなった。 そしてまたHawaiiに行きたくなった私でありました。 ♪baby baby don't look so sad There's gonna be a better tomorrow 重い扉の向こうは、いつでも青空さ♪ マイナーな映画と曲です。 けど曲は山下達郎のコーラスが海感upに一役かっており、 なかなか素敵な一作です。ぜひお試しあれ。 びっくりしたことに、今日はasaサンと同じ気分だったようです! asaサンと行ったHawaiiも楽しかったな〜
| 2006.03.22 Wednesday | 思い出 | comments(11) |
第20回冬季オリンピック・トリノ大会始まる〜♪ わくわくドキドキです。 頑張れ〜ガンバレ日本!! スケジュール表が欲しいよぉ。ちょっとネットで探してみよっと。 雪山と言えばモランです。 「ムーミン」に出てくるこんなキャラクター知ってますか? 物心ついて見たテレビ番組の中で、初めて号泣したお話が「ムーミン」の中のこのモランの回でした。 一番印象に残って覚えている ストーリーです。 モランは、雪山でひとり暮らしています。 何でも凍らせてしまうので恐れられている生き物です。 そうだからか、ムーミン冬眠の季節だったからか、 モランはひとりで淋しいと泣きました。 そんなモランにムーミン達は、自分達を模った木彫りの人形を作ってプレゼントするんだけど、人形は話さない、生きていない・・・とモランはおいおい泣いて悲しんでいました。 そんなお話だったはず・・・それが可哀想で可哀想で、私もおいおい泣きました。それから、雪山=モラン そんな図式が出来上がってます。 そんな私ですが、妹には 「お姉ちゃん、ミィそっくり!」 って言われてました。 イジワルって事らしいです。。。 明日からは、応援に忙しくなります! それに備えて寝る事にします〜おやすみなさーいzzz
| 2006.02.10 Friday | 思い出 | comments(7) |
皆さんの古物の足元にも及びませんが、 このお猿我が家にやって来て早30年以上でございます。 この子は私ので、妹もひと猿連れておりました。泣き顔のお猿を。 ある日の『なんでも鑑定団』 モンチッチの会社の社長登場。 なにかを探していて、あったら高く買うとオッチャンは言っておりました。 何気に見ていると、妹の泣きお猿を探してるじゃありませんか! この子達はモンチッチの前身で、笑い顔、とぼけ顔、そして泣き顔などのいくつかのタイプが存在していたらしく、 オッチャンの手元には泣き顔だけがなく、探されていました。 妹からも、「お姉ちゃん見てるー!?」のコールがあり、 わが家は大騒ぎでしたが、残念ながら泣きお猿の姿はなく、 家族で地団駄を踏んだのは言うまでもありません。 これがasaサンちなら 「あるでぇ〜ヒッヒッヒ!」 と 間違いなくほくそえんでいたことでしょう。 我が家いらん方だけしか残ってませんから!切腹(←ちょっと古いっすね) そして明日は20日恒例同じテーマUPの日です。 ちょっと難しいテーマをアリガトウasaサン・・・ では、また明日♪
| 2005.12.19 Monday | 思い出 | comments(6) |
夕暮れ時、まだほんのりと明るい空に 月が見えました。 寒い季節は空気が澄んで、 星や月がよく見える。 わかりにくいけど、上の左のほうに点って写っているのが月。 (実際は、写真よりも明るかったです。) そう言えば、ゲレンデでは昼間の月をよく見かけた。 白馬は岩岳のスキー場。お洒落度皆無。 けど何故かとてもお気に入りのゲレンデでした。 例えて斑尾がお嬢さんだとしたらば、岩岳は間違いなくオッチャンです。 けど美味しい食堂なんかがあったりもしました。 そこは、その頃でも時代遅れ気味の一人乗りのリフトがメイン、それも長旅。 寒い中孤独に登って行くのです。 そんなひとりの時間を過ごす時、見下ろす木々の間 点々々と、不規則な螺旋を描きつつ繋がる小さな足跡が、どこかからどこかへ向かっているのを眺めて、 野ギツネ?の生活を想像してみたり、 晴れた空を見上げてキラキラ輝く結晶の中、昼間の月がキレイに見えて、ちょっとジーンとしたりして。 なので明るい時に月を見たら、いつもスキー場とスキーに纏わるいろいろ笑える思い出が蘇るのでありました。 例えばasaサンの山越えとか、堺正明とかね(笑) 同じ時刻、違う方向を見れば こんな夕焼け。 太陽と月が、挨拶し合って いる様でした。
| 2005.12.10 Saturday | 思い出 | comments(12) |
本文とは全く関係ない パリで買ったライター イラストがカワイイ♪ 月曜日は英語の日。 だので、昨夜行ってきました。 (※注 ここで宣言するのも 恥ずかしい様なレベルです。) かれこれ半年経ちますが、 相変わらず無口には変わりなく、 行ってるだけでは、 話せるようにならない!ってことを 認識するばかりです。 当たり前なんですが・・・ 実は随分前も結構長く英語習ってました。 それもネイティブの先生に。 それは、M先生。sabaサンのダンナ様です。 asaサンの家で、とても楽しいレッスンでした。 asaサンはいつも机の下で靴下を足で脱いでました。 関係ないですが(笑) 習った事が役立ったことがありました♪ ノルウェーはフィヨルド観光でバスに乗った時、 カメラがポケットから落ちてしまっていました。 気付いた時には私の乗っていたバスはなかったので、 まだ残っていた別のバスのドライバーさんに聞く事に。 「バスでカメラを落として来た」と申告した所、 (正確にはhammockサンに言ってもらった・・・ そんな事も話せない出来の悪い生徒です。M先生。。涙) そのドライバーさんは「そんなん俺に言われても・・・」みたいな反応。 でもそこで「口髭を生やしたドライバーさんのバス」と伝えた所、 「oh〜〜!」とニッコリと連絡を付けてくれ、 無事カメラは私のもとに戻ってきたわけです。 口髭=moustache M先生になぜか(笑)習っていた単語!大役立ちでした。 これを聞いてもM先生はそんなに嬉しい話でもないとは思いますが・・・ 今習っている所では、二人目の日本人の先生です。。 不思議なのは、前の先生も今の先生も二人とも英語で話す時と、 日本語で話す時の印象がすごく違うってこと。 気のせいなのかな〜もっと話せば一致してくるのかしら?・・・不思議です。 せっかく行ってるんだから、もう少し頑張らないとな・・・ と反省する火曜日でした。
| 2005.11.22 Tuesday | 思い出 | comments(8) |
三たび思い出話。 引きずりすぎ?しかしながら、ご勘弁を。 恥ずかしながら最近徐々に浸透しつつある私の安物の涙。 安物と言えど涙とつけば聞こえがいいが、実は単なる泣き虫です。 それは遠い昔からの事で、通報される前に告白すると、 中学の頃はご飯が食べれないと泣き、 修学旅行では消灯後他の部屋に忍び込んでたのを見つかり、 先生に 『明日のアフリカンサファリ行かんでよろしっ!』 と言われては泣いておりました。(大勢いたが皆泣いてはいなかった) 高校では下校時に事故に合い、 救急車の中で 「明後日のコンサートに行かれへん〜」 と泣く、 何が大事かわからんアホの子状態でした。 そして音楽リズムの時代は、財布を無くし、 中身は乏しいがお気に入りだったので、またまた泣いていたところ、 SBサンとK子サンが奇徳にも一緒に泣いてくれました(笑) そしてある日のピアノのテスト。 ピアノは、落とすと卒業出来ない必修科目。 方式は、たぶん課題曲と曲名を書いたカードを2枚引いて 出たものを弾くというものだったはず。 その中には、『いもほり』と言う未だにどんな歌かも知らん、 難曲が含まれていたのでありました。 京都の I サンは、サラ〜っと弾いて得意気(笑)だったけど、 和音だらけの楽譜、苦手な私は一小節足りとも弾けたことはなかった。。 だのにテスト当日、そのカードを引き当ててしまったのである。 一曲は『ひな祭り』かなんかで、なんとかクリアしたものの、 『いもほり』の打撃に打ちのめされ、そう ここでまた涙する私。 先程登場したSBサンも出来なかった…と泣いており、 ふたりで行く末を案じたものだった。 今思えば彼女もかなり安物の持ち主である。 しかし凄い友人もいた!引いたカードの2曲共弾けず、 勝手に自己申告で「『海』弾きまーす」とか言いながら、 「うーみは…」「うーみは…」と何度か繰り返したものの、 海は広くも大きくもならず終わっていったらしい…撃沈。 そんなでも彼女は平然としていた。もちろん涙のひとつもなく。 それどころか、その状況をおもしろ可笑しく話してくれた。 後日 不思議ながらメデタク私は合格し、 SBサンと海の彼女は追試を受けることになる。 SBサンはなぜかチョッピリ怒っていた。 それは私の安物の涙のせいかも知れない。 リサやペネと同じ ゲオルクさんの絵本♪
| 2005.11.18 Friday | 思い出 | comments(7) |
今日も学生時代の思い出をひとつ。
この話はよく言ってたので、聞いた方も多いかもしれませんが、 よければ再び読んでやって下され。 恐ろしい音楽リズムの他に苦手な教科が『ピアノ』 その時間は一人づつピアノのある小部屋を与えられ、 順番に先生に聞いてもらうってもの。 ピアノって言っても、弾くのは、小学唱歌や童謡。歌付きの曲。 真面目な私は、授業中ちゃんと練習に励んだものだった… てのはまたウソで(すみません嘘つきです)単に順番が後だったのと、 家で練習などするはずのない私。 その時間が練習する絶好のチャンスだっただけ。 真面目でもなんでもありません。苦手なくせに、練習しない不真面目サンです。 そんなある日の授業中のこと。 ここぞとばかりに熱心に練習していた私。もちろん歌付き。 何せ水玉に穴の開いた防音の小部屋にたったひとり。 自分の世界に入り込み、それはそれはかなりの熱唱。 八神純子もビックリ。(例えが古すぎるが・・・) 曲名『ハメハメハ大王』 ハメハメハ〜♪ハメハメハ〜♪とサビもサビ、盛り上がりもいい所で、 コンコンと窓を叩く音が・・・ハッと見ると自分の番が終わりサボっている不良達。 どうも しばらくの間窓の外から観察されていたらしい。 皆お腹をかかえて、折れ曲がっていた。 真面目な生徒をからかうなんて、ほんとヒドイ話だわ(笑) 1階の裏庭側の部屋を割り当てられてた事を呪った一日でありました。 しかし、なんで覗きに行こうと思ったんやろな〜〜? 誰がそんな事思いついたのか、今更ながら知りたい気持ちである。 そんな事考えるのは、Dサンか? そこに京都の I サンが居たかどうかは、定かではない。 今は弾かなくなってしまったピアノ
| 2005.11.17 Thursday | 思い出 | comments(8) |
小さい頃は童話が大好き。
お気に入りのお話を何度も何度も読み返す。きっと皆そうだったはず。 アンデルセンや、イソップ物語、日本昔話などなど。 お花の中にちょこんと座った小さなお姫さまの気分になったり、 ピノキオと一緒に子供の国へ行ったり、 鯨のお腹に入ったり・・・夢の世界は広がるばかり。 そんな頃の私、祖母にもらった『グリム童話全集』がとてもお気に入り。 残念ながら、その本達はもう私の元にはないけれど、 好きだった気持ちは覚えている。 それは 『白雪姫』だったり 『眠り姫』だったり 物語を思い出させてくれた、ドイツのかわいい切手たち。 グリム童話の中でも『七匹のこやぎ』には、ひと味違った思い出がある。 最後の学生生活では、「音楽リズム」なる体育系の授業があり、 名前の通り、音楽に合わせ踊ったりするものだった。 皆で輪になって廻りながら、「鳥になって〜」など先生の一声で、 鳥になったり、お猿になったりする恐ろしい内容。 これが大大大の苦手で、嫌でしかたなかったのを覚えている。 まじめに本気でお猿になれるクラスメートもいた。驚いた。 それだけではなく、半期に一度「オペレッタ」の発表会ってのも仕組まれてた。 お遊戯会大人版だと考えてもらえればいいかな。 そこで私たちのグループが選んだ物語が、『七匹のこやぎ』 似非ミュージカル仕立て。 なぜか台詞も全部歌で、作詞作曲すべて私たち自身。 小道具なんかもモチ手作り。 今考えると意外に一生懸命取り組んでいた、まじめな学生だったと思う。 それぞれ分担して作った歌を歌いあったりして・・・ ホント若いってスゴイなって。笑える!けどいい思い出。 へーーんな曲作って来たりする子もいて、なかなかおもしろかった。 ビデオかなんかで、撮ってて欲しかったな〜 今見ればきっとおおいに笑えるはず。 そうだ、終わった後は打ち上げなんかもした。青春? 宿題など苦手な私だけど、作詞作曲は家に帰っても真剣に考えてた気がする。 たぶん そう言う作業は好きなのかも。(出来栄えは別としてね) だからブログも続くのかな?まだまだほんとに続くかは、神のみぞ知る!だけど。 これ『七匹のこやぎ』 お母さんの一曲。↓ ♪可愛そうに子供たち 怖かったでしょう 怖かったでしょう でももう大丈夫 子供たちは助かった 良かった!良かった! ヨッカッタネ〜♪ お面をつけて、こんなのを歌いつつ演技してました。 十代とはいえ二十歳前の大人・・どうよ?って感じです(笑) 自分が何役だったかは忘れちゃったけど、百年前ながら、今も歌えます! 機会があればお聞かせ致します。 ウソ。 たぶん、これを読んで約1名歌ってくれていると思うんだけど・・・ もう忘れてしまったかな。
| 2005.11.16 Wednesday | 思い出 | comments(9) |
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